正月
連歌、連句、俳句で、句の季節を示すために読み込むように定められた語。例えば鶯は春の季語、金魚は夏。季題、季の言葉とも言う。
旧暦の正月を睦月と呼ぶ。もともと正月は盆と同様、先祖の霊を迎えて親族一同が集まり睦む行事だったとされる。やがてそれは新年の年神様(その年の穀物の実りをもたらす神であり、同時に人々を見守っている先祖の霊)を迎え、その年の豊作や人々の健康を願う祭りとして定着して行った。12月ほぼ一月を費やして人々は正月の準備をする。家中の掃除、煤払い、松やしめ縄を使った飾り付け、餅つき、鏡餅を三宝にのせ床の間などに飾り、おせち料理などを作る。
正月元旦、つまり元日の朝には若水(早朝井戸から汲んだ水)をまず神棚に供えるのが本来の儀礼であった。この水を飲むと、若返るとされてきた。若水を使って年神とともに雑煮を食べる。雑煮は年末についた餅と野菜や鳥肉、魚介などを一緒に煮込む。その作り方や中に入れる具は地方によって様々。一般に東日本では、切り餅を一度焼いてからだしに入れ、西日本では丸餅を焼かずにそのまま煮る事が多い。お雑煮とともにおせち料理をいただき、新年を祝う。おせち料理とは、それぞれ縁起をかついだり、豊作や健康を祈る意味を持った食べ物を重箱に詰めたものである。また、魔除けと不老長寿を願う薬酒、お屠蘇を家族みんなで杯を回して飲む。
元日から七日、つまり松の内に人々は初詣に出掛ける。年の初めに寺や神社にお参りして一年の無事を祈るのである。現在のような初詣の形が一般化したのは明治以降で、それまでは自宅や氏神の社にこもって年神様を迎えるのがしきたりであった。やがて大晦日の夜にお参りする“除夜詣”と、元日にお参りする元日詣とに別れてゆき、江戸時代後半には年神がやって来る吉方、つまり恵方にある社寺に出かける恵方参りが都市部を中心に流行した。明治以降は恵方の意味も薄れ、有名な神社にお参りするようになった。
7日以降も1月の間各地で新年を祝う行事が行われる。また小正月(1月15日)や二十日正月など、それぞれ正月からつながる行事が続いて行く。
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